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私のトレード人生 -その1-

ベン

私の今までを少し振り返ってみたいと思います。
記憶だけなので数年ずれるかもしれませんが、今から35年前になりますが大学を出てしばらく三菱商事の子会社に就職し広島で生活しておりました。
しかしやはり自分が好きだったことをやりたいと決め、数年で退社し独立。
26歳でした。

まだあまり無い当時は特殊な仕事だったので1年で順調に軌道に乗せ、父親が株をやっていたせいもあり貯蓄以外に私も株を持つことに。

初めて買った株はクラリオン。当時カーステレオのシェアは世界一とか。
もちろん今のようにPCなど無く、朝刊で株式欄をみるだけの長期ホルダーでした。
その他にも4〜5銘柄持ちましたが買いの判断は業績や外交の薦めるまま。
もちろん外交員か窓口しか通すところは無い時代でしたからね。

グランビルや酒田罫線も知らず、よく手を出したなと今から思えば怖くなりますが地合いにも助けられ順調に。
皆さんの中にも最低限のテクニカルを知らないでこの世界に入られた方おられるのではないでしょうか。


私のトレード人生 -その2-

ベン

早く戻れたので書き始めます。

立ち上げた事業も順調に進んだのですが、特殊な仕事だけに人材確保が難しく東京に3校大阪に1校しかその仕事の専門学校は無く、地方都市に住む者としては頭の痛い問題でした。

そこでこの際自分で養成機関を創ろうと大阪の天王寺というところに専門学校を立ち上げました。株式会社としての組織にして代表取締役兼理事長という肩書きになりました。

その事業も順調に伸び2年目で生徒数180名を超え、3階建てビルでは手狭になり3年目に同じく大阪の難波というところに分校をつくり生徒数80名の学校でスタート。

韓国や台湾からも生徒が集まるようになって来ました。
その仕事についての資格認定のため協同組合を持ち、専務理事となりライセンスの発行をすることにもなりました。

25年くらい前でしょうか、卒業生たちが就職する分野に姫が参入し、そこで私との接点が生まれました。
姫は最初自宅での個人事業主だったのがあれよあれよというまに関西では1・2をあらそうトップ経営者に。同業者で全国でも知らないものはいない存在となりました。


私のトレード人生 -その3-

べん

さて、株のほうは相変わらずの長期ホルダーでしたが10数年前、まだ神戸ゴムという銘柄が存在していた頃初めて商品先物を進められるままに。
4〜5日で50万程度の利益がww

当たり前ですよね、豚は太らせてから食えというのが先物外交員の合言葉なんですから。
ただこちらも慎重派なのでしっかり利益確定して撤収。その頃の先物外交員なんていざ利確となればやくざまがいでしたね。ものすごい声での恫喝が。
こちらは冷静に「じゃあ公正取引所通じて話しましょうか」といったとたん電話は切れ事務員から振込みの手続きいたしますのでという連絡が。
今は無いオリ●ント貿易という会社でした。

その後数年が経ち今度はちがう会社がコーンを進めてきました。
私も多少は進歩していたので今は買いかなと思い再度商品相場の道に。

その頃、もう仕事で何度も顔を合わすことが多くなった姫と雑談を交わすこともしばしばとなり、その会話の中で商品をやっていると話をしたところ姫 も少し興味を持ったらしくよくしゃべるようになりました。
営業マンを紹介したらそれがなんと姫の高校の同級生。
最初に薦めたのは粗糖かコーンだったと思います。

そこからが波乱万丈の始まりでした。


私のトレード人生 -その4-

ベン

どうやら最初に薦めたのはゴムだったそうです。

その後粗糖やコーンを触り始め、ガソリンや灯油・原油やコーヒーにも手を出し勝ち負けを繰り返していましたがさほどの出入りも無く無難な取引きをしていました。
まあトータルでは負けていたのですがたまの大勝が忘れられず、痛手も少なかったのでずるずると。
その後三品の金・プラチナも触り始めるのは自然の流れ。

いよいよパラジウムに手を出すことに。
パラジウムなんて触媒とわずかに歯科医が使う程度の鉱物が金やプラチナを抜くような相場になろうとは。
思い起こせば2000年2月14日から23日まで8日連続のストップ高!

それ以前からショートポジの私は毎日が追証。
いままでの株券もすべて担保に入れ売りあがりの連続。感情が麻痺しロスカットなんてありえないという状況でした。
そこに至るまでも何度も3空や5空を持ちこたえてのあとの8空です。

当然姫と同じポジでしたので彼女も同じ、いやそれ以上に投資額の大きさとレバレッジを考えれば途方も無い金額に膨れ上がっていました。

胃を押さえてもカチカチで食事ものどを通らず酒さえ飲めない精神状態でした。


私のトレード人生 -その5-

ベン

8連騰の前の3連騰などではまだ少し冷静で400万ほどの損切りをして極力身軽にはしていました。 それでも切らずに撤退しなかったのはいずれは終わるという希望だけで、乖離から見ても異常な(異常なんて言葉はあてはまらない、狂気の数字だ)状態で正常にもどれば17ストップ分下げが来ると信じて追いかけた8連騰。

そのときの追証だけで1240万。

その頃はショートポジで戦った先物会社もつぶれ、新聞にも「相場で失敗しての自殺」などを目にするようになりました。
われわれが見たらパラジウムでの自殺というのがはっきりわかりました。

明日はもう下げるだろうとそればかりの毎日。

その頃の注文は今のようにパソコンでクリックなんてシステムは無く、電話での注文取引でした。
20年位前から携帯は持ってましたがその頃は基本料だけで毎月3万円でしたね。食事のときさえ放せない携帯が8連騰のあと鳴りました。

「パラジウムですが、強制解けということになりました」

ん?・・・・・
何のこと?

一瞬、いやしばらく経っても何のことだか、何を言ってるんだか理解できません。頭はぼーっとしたままです。
売りあがればいつか取れるという我慢が・・・
国からの強制的な介入ですべて清算しろということです。

今までの我慢はなんだったのか・・・・


私のトレード人生 -その6-

ベン


強制解けという理解しがたい、理解したくない現実を受け入れるしか方法は無く、毎晩ニューヨークの夜間取引も見続け肉体的にも精神的にもへとへとになった状況から離れその後数週間放心状態が続く。
ただ、家族には知れることも無く自分だけの記憶に残ることになったので一生しまっておく経験となりました。

姫はもともとの投下資金が大きかったので損害も数億円に。
お互い本業の方では何度か顔を合わすことはあったもののもうそれについての会話は無く、仕事だけの取引が続きました。

そして1年半ほど経ったころ「今、株やってんねん」と声をかけられ証券会社の中間報告書のようなものを見せられました。
会話したのはたしか8月だったと思います。

1月からの半期の報告書で利益が5700万。
「えっ?!半年でこれ?元金は?」
「300万」
「おいおい!」

「もう一回一緒にやろうや」と今度は姫からの誘い。

でもあのにがい思い出から立ち直ったわけでもなくすぐには始めることはできませんでした。
その後顔を合わすたびに話しかけてくるし私も以前の負けを取り返す気に。

ただ、もう少し勉強してスタンスもデイでないと参加しないと決意して自分に合ったトレードを探すことにしました。


私のトレード人生 -その7-

ベン

再度この世界に戻るに当たり、今までのにがい経験と前年がん宣告を受け3ヶ月の入院生活をおくった事で、再発防止にはストレスをかけないことが一番という思いもあり「デイ」に徹するように誓いました。
そのために使いやすいのはグランビルかハッチの10%転換法の応用かと思い、単純なものをそのパターンが来るまで待つ、シンプルな投資法に。

私のことより初心者の皆様にひと言。
以前アンケートをとらせてもらった所、ほとんどの方がスタンスを決めていない、ルールをまだ決めていないという答えを書いておられました。
周りを見渡してもゴルフ、野球、ボクシングすべてルールがあって成立しています。
ルールがなければラグビーでもサッカーでも最後は乱闘騒ぎにしかなりません。
戦争だってエノラゲイのようなものでない限り赤十字は襲わないとかルールの中で戦っています。
スタンスを決めてルールを持てば勝ちはしないまでも負けることは無くなります。
ルールを持つことが最初なんです。やり始めてから決めようとするから負けるんです。
負けなくなるトレードを始めてください。

この世界ではよく「木を見て森を見ず」という言葉が使われます。
はたしてそうでしょうか。もちろん小さなところしか目が行かず大局を見れていないという正しい言葉なんですが。

私の趣味にバードウォッチングがあります。
去年中南米のコスタリカに行ってきました。
目的は世界一美しいといわれるケツァールという鳥を見るためです。
標高2600mの熱帯雲霧林、見渡す限りのジャングルです。その中に数本のリトルアボガドという木があります。
どんぐり位のアボガドの実をつけます。その実が熟すとき目を見張るような美しい鳥ケツァールが現れます。
8月にはパプアニューギニアに行ってきましたがそこでもこの木の実しか食べない鳥、またその鳥に食べられたあとでないと発芽しない植物。
そういう共存関係を築いた自然環境を今までは住○林業などの日本企業が破壊し、撤退してから中国企業がものすごい勢いで破壊し始めているのを見てきました。

これは環境問題の話になってしうのでやめますが、姫のようにあらゆる手法を使い、言ってみれば商社が世界中からものを集めるように、チリ沖のいわしもオホーツクのかにもインド洋のマグロもとれるようにしているのが姫の網の張り方です。
はたまた長良川の鮎も琵琶湖のへらぶなも取れるよう網羅してるところがすごいんですが。

よくレッスンプロは教え方がうまく、天才はへただといいます。
わかっていて当たり前だという感覚があるんでしょうね。
たとえば絵を岡本太郎に習ったとしても同じようには書けません。シューベルトに作曲を習ってもしかり、みんな基本から上は感性の部分で動いてるんです。
はっきり言って姫もその領域で見ています。

ですから申し訳ないですが、皆さんが何年勉強しようと姫にはなれません。


私のトレード人生 -その8-

ベン

ただ言える事はその姫に巡り会ったというセレンディピティーです。
姫の使うテクニカルの中で自分に合ういくつかを見つけるだけで良いんです。

リトルアボガドだけでもケツァールは見つかります。
あとトレードで生活しているものはそれぞれ得意技があります。
姫には及びも尽きませんが私も自分の技があります。
グランビルにしてもハッチにしても酒田や一目にしてもみんなこうなったらこうなりやすいというパターンを見つけています。
みなさんも独自のものを見つけたとき同じことを20回検証してみてください。 確率が高ければそれを繰り返せばいいんです。

私も5本線と25本線の角度で決めているものや72円ルールと銘打って姫の20%ルールに近いものをみつけました。
自分でつかんだテクニカルは自信があるのでロットもいけますからね。
この書き込みのメンバーに誘われるまでは自分の手法だけで一人でやっていました。

無料ブログを立ち上げ、書き込みをしながらやっていました。
その時のほうが勝率を言うのであれば上でした。なぜならそのパターンにはまるまで手を出さなかったからです。大間のまぐろを釣るなら大間の海の一年を知り尽くせばいいんです。
そこで一生を終える漁師もいるんです。
私は一生四万十川のうなぎ獲りのようなトレーダーでいたい。そんな姿勢で臨んでいます。

利益幅を追求するよりストレスのかからないスタンスで、長くやって行きたいという事を優先しています。

最後に、デイトレなどで儲けたお金なんてという人もいます。
お金に卑しいも尊いもありません。いかに生かせるかだと思います。
私は途上国に鳥を見に行くことにより意義のある還元の仕方をしていると思っています。

長々と過去の恥も含め書き込んできましたがルール作りとロスカット。
いまだに揺らぎそうになる自分の心を毎日のように律しようとしながらトレードしています。
継続していくにはマインドが一番重要だということなんですね。

これからも早食いをお見せするかと思いますが本人は損したなんて思ってもいませんからストレスもありません。これが私のトレードスタンスです。


追記:
私の銘柄抽出法を聞いていただく事もあるのですがあくまでも出来高を中心にしていくつかの条件をあてはめて選び出しています。
検証すればデイだけでなくスイングにも使える銘柄も多いと姫からも言われています。ほとんどデイで利確していますが皆さんはご自由にお使いください。


私のトレード人生 -補足とおまけ-

ベン

書き忘れを補足します。

姫が半年で5700万の利益を見せてくれたとき、このペースなら年内には1本行くなと話しました。
そして12月初め電話したらもうちょいという答え。
年末に用があってまた聞いてみると「行った行った」。
ということは300万が1年で1億!
はっきり言ってこれで私にもスイッチが入ったのがわかりましたww

私の信条といいますか座右の銘にしているものです

*人間万事塞翁が馬
 これは良いことも悪いこともあるさ=程度の考えでなく、本当に苦しい時これを乗り越えればいつかきっといいことがやってくると言い聞かせる呪文のようにしています。

*人はどれだけ生きるかは決められないけどどう生きるかは自分で決められる
 これはがん宣告を受け、死を本当に身近かに感じたとき後悔しない生き方をしようと決めた思いの言葉です。